2009.06.22
梅雨のアヴエ・マリア (三好達治)
■三好達治の詩をたまに読む。彼の詩は上品で、香気に満ちていて、人をいやな気にさせない。単なる西洋かぶれでないところも好きだ。
彼は多くのタイプの詩を発表したが、よく読み返すのは昭和初期の作品で、詳しくいうと詩誌「詩と詩論」に関わっていた頃の詩である。なかでも好きなのは「アヴエ・マリア」だ。
アヴエ・マリア 三好 達治 (「詩と詩論」5号、1929.9)
鏡に映る、この新しい夏帽子。林に蝉が啼いてゐる。私は椅子に腰を下ろす。私の靴は新しい。海が私を待つてゐる。
私は汽車に乗るだらう、夜が来たら。
私は山を越えるだらう、夜が明けたら。
私は何を見るだらう。
そして私は、何を思ふだらう。
ほんとに私は、どこへ行くのだらう。
窓に咲いたダーリア。窓から入つてくる蝶。
私の眺めてゐる雲、高い雲。
雲は風に送られ、
私は季節に送られ、
私は犬を呼ぶ。私は口笛を吹いて、樹影に睡つてゐる犬を呼ぶ。私は犬の手を握る。ジャッキーよ。――ブブルよ。――まあこんなに、蝉はどこにも啼いてゐる。
私は急いで十字を切る、
落葉の積つた胸の、小径の奧に。
アヴエ・マリア、マリアさま、
夜が来たら私は汽車に乗るのです。
私はどこへ行くのでせう。
私のハンカチは新しい。
それに、私の涙はもう古い。
――もう一度会ふ日はないか。
――もう一度会ふ日はないだらう。
そして旅に出れば、知らない人ばかりを見、知らない海の音を聞くだらう。
映画のシークエンスが目の前を流れていくように鮮明で、言葉の中にしかない西欧への憧れが漂い、しかもそれらに沿って和歌の抒情がうまく使われている。
こういう人工的に透きとおった感傷は夏に読むと涼しい。
そして三好の「アヴエ・マリア」を読んでいると、胸のうちにはこの世のどこにもない晩夏の風景――たそがれの空に西日が映えわたり、秋を予感させる風が窓のカーテンをゆらすような――を思い浮かべる。
■(BGM):エミール・ギレリス
[グリーグ 抒情小曲集 Op.38-1 Berceuse “Cradle Song”] (1974)
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