2009.06.18
黄梅時節家家雨
■最近、一番憧れる言語芸術は漢詩かも、と感じるようになった。
シブすぎる。
もっと気楽な趣味がよかった。好きな音楽はGreeeenで、忘れられない本は「チーム・バチスタ」シリーズと「君空」であり、映画「ターミネーター4」はなかなかの出来だった、とか言いたかった。
しかし、自分が千年前の漢詩に惹かれていることに気づいたのはいつだったろうか?
…と書くとかっこいいが、実際にやっていることはたいしたことではない。
2日に1度、それも10分ぐらいの間漢詩を眺め、「かっこいいなあ」と一人合点するというだけだったりする。
梅雨を詠んだ詩で好きなのは次の宋代の詩だ。
約客 趙師秀
黄 梅 時 節 家 家 雨
青 草 池 塘 処 処 蛙
有 約 不 来 過 夜 半
閑 敲 碁 子 落 燈 花
(客と約す
梅雨の頃は、どの家も雨に降りこめられる
青草の茂る池の堤では、蛙があちこちで鳴いている
降り続く雨のためだろうか、約束していた客が来ないまま、夜半が過ぎてゆく
暇をもてあまして碁石をぱちんと打つと、その拍子に灯心の残りがはらりと落ちた
『中国文学歳時記 夏』「梅雨」項 〔同朋出版、1989〕 )
いいなあ、と思う。
少し時間がある時、こういう漢詩を眺めながら酒杯を傾けて音楽をかけることもある。詩・酒・音楽…まるでエセ隠者だ(笑)。
しかし、好きな詩を読みながら何を飲んで、何を聴こうかと考える瞬間はなかなか楽しいものだ。
唐代のパワフルな漢詩なら、九谷のあでやかな猪口に紀伊の“羅生門”を注いでLed Zeppelinの”Rain Song”を聴こう、とか。
宋代のさらりとした漢詩であれば、ブルゴーニュのストレートで飲みやすい赤をリーデルグラスに注ぎ、チーズをのせたバケットをかじりながらコルトーのピアノを聴こうか、とか。
めちゃくちゃな取り合わせであるが、こんなことを考えていると幸せにはなれるのだった。
酒がすすんだ時は筆ペンを持ち出して筆写することもある。
半紙に好きな詩を書き連ねるのだが、自分の字があまりに下手なので笑ってしまうことも多い。
そういう時、イヤなことはたいてい忘れることができる。
■(BGM):アルフレッド・コルトー(ピアノ) [シューベルト リタニー(祈り)] (1948)
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コルトーとブルゴーニュと漢詩。
何かを含んでいて乾いた軽やかさはなく・・
でも決してしつこくも無い、
そんな雰囲気が梅雨を楽しむのにぴったりなのかしら?
もしも、約束の客が来ない雨降る夜半には
ヴァイオリンでなく鍵盤を叩くかもしれません。
それは、たぶん趣味だから(笑)。
シューベルトの即興曲・・Ges-Durなどでも
弾きたいです。
梅雨の夜半にシューベルトの即興曲Ges-Dur。すごくいい曲と思うんですけど、ちょっと情熱的に寂しそうかも(笑)。でも、シューベルトはいいですよね。特にGes-Durは心が洗われる気がします。
約束の客が来ない時、僕なら本を読んでいるでしょうね。。江國香織とかナタリア・ギンズブルグとか。